なかはたんす

みたままおもったまま

ミュンヘン二日目(ダッハウ強制収容所)


ダッハウ強制収容所ダッハウきょうせいしゅうようじょ、独語:Konzentrationslager Dachau)は、ドイツバイエルン州ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツ強制収容所である[1]。ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった。(wikipediaより引用)


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ダッハウ強制収容所が開くのは朝の九時。それにあわせてミュンヘン中央駅を出発し、とりあえず最寄り駅のダッハウ駅まで、電車一本で20分ほどゆられます。駅からバスで強制収容所跡に向かいます。
ちなみに昨日行ったフュッセンには、ダッハウ強制収容所の支所があったそうな。観るの忘れちゃった。資料とか残ってたのかな?
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バスの番号は忘れちゃいましたが、この駅にくる観光客のために色々わかりやすい表示がしてあるので、矢印と英語が読めれば大丈夫です。
たぶんわかんなくてもガイドブックの写真を指差して「コレ!コレに行きたい!!」と日本語でわめいても何とかなると思います。
バスのアナウンスはドイツ語だけだったかな?でも、停車駅の名前が前の液晶画面に出るので安心して目的地にたどり着けました。ハイテク。

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ふたりとも、初めての強制収容所跡見学でした。(最終的にこの旅では三カ所まわりました)
着くまでは不安やらドキドキやらありましたが、着いてからは「ちゃんと見なきゃ…」となにやら義務めいた気持ちに。
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有名な強制収容所の標語、「働けば自由になる」がここにも。
ダッハウははじめ政治犯を入れていたそうですが…
アルバイト・マハト・フライは、ナチスだけが掲げていたものというより、日常的な標語として一般に使われていたものだそうです。日本でいえば、ちょっとニュアンスは変わるけど働かざるもの食うべからず、とか?ニュアンスが変わりすぎかしら。
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最初に入ったバラックは政治犯の独房に使われていたところ。とりあえず空気が違う。日本で普通に行きてると、たかだか60年前かそこらにたくさんの人が死に直面していた建物には、なかなか行かないものです(探せばあると思いますが)。冷たくって、重くって、言葉を選んでも選んでもしゃべれない。

ミュンヘンにきてからも収容所やユダヤ人差別をいろいろ調べていましたが、この時すでに、日本であんなに自信を持って思っていた「自分が絶対にそんなことするはずない」という気持ちが、揺らぎ始めていました。
実際に起こっていた、という事実をこのバラックで初めて感じたからです。それまで歴史の一部という認識だったんだと思います。
のちのち色んな収容所関連施設をまわったときに言ってたんですが、「初めに入ったところが悪かった」。普通に順序どおり行けば、独房じゃなくて観光客もわんさかいる展示室からスタートだったのです。独房インパクト強すぎるしなにより人がいないし平和ボケしていた私はあ〜れ〜〜となってしまいました。今となっては最初にがつん!とやられといて良かったと思います。結果オーライ。

そして「すごい」という感嘆語。
なぜだかわかりませんが、この言葉をここで使うことにとてつもなく違和感がありました。ホント何でだろう。
なんかモヤモヤしたんです。そんな一言で片付けちゃっていいのかなって。
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↑悲鳴が聞こえないように二重につくられたドア
聞いてやれよ…と思いますが看守のメンタル保護のためでしょうか。当時どの程度まで看守のここでのメンタルが状況に慣れてしまっていたのかはわかりませんが
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ガス室に続く橋(手前がガス室側です)
普段の居住スペースからは小さな川で隔離されています。
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ダッハウ収容所は本当に広い。バラックはほぼ残っていませんが、バラック跡はずらーっときれいに並んでいます。まるで地面におかれたおっきな設計図を見ているみたいに整然としています。
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バラック地帯から小さな橋を隔ててガス室と焼却炉。
これはのちのち色んな収容所でも感じたことですが、なんとも合理的だと思いませんか。
人間をぎゅうぎゅう詰めに住まわせて、働かせて、働けなくなったら端っこのガス室でひっそり殺して、また新しい人を働かせて。

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ガス室のすぐ奥に焼却炉があります。殺人システムが系統だってますね。配置的にはまあそうなるだろうな、という感じ。おそろしいけど。死体が多い時は二人も三人も一気に詰めて燃やしたとか。

(あまり詰めすぎると逆に燃えなくなるんじゃ…)とも思いましたが、そのへんはギリギリのラインを感覚でやってたんだろうな。何回も、焼却を繰り返すんだろうから。



あとドイツの冬はすごく寒い。春が近い三月でも雪がもっさり積もっていて底冷えします。大阪府民には辛い…
雪が靴についてしばらくすると靴が濡れて、ますます冷たくなります。こんな状況で、朝点呼で場合によっては何時間も立ちっぱなしにされたら、そりゃ死ぬ人もいるわなと思いました。


収容所には電気鉄線が張り巡らされていましたが、そこに突っ込んで自殺する人もいたそうです。
どうだろう。あなたならどうしますか。先の見えないきつい肉体労働と人間以下の扱いを受けて、いっそ終わらせてしまおうと、鉄線に突っ込むかどうか。
こんなのそうなってみないとわからないじゃないか、当時迫害されていた人の気持ちなんてそんな簡単にわかるわけないじゃないか、という批判は当然ですが、ただ単に「自殺するほどつらいのか、やっぱりそうだよなぁ、かわいそうに」と事実を考えるよりも、

やっぱり「自分が極限状態で電気鉄線に飛び込むかどうか」あるいは「自分はどの程度まで追い詰められたら電気鉄線に飛び込むのか」と想いを巡らせてみると、ほんの少しだけでも、問題に近付けたような気がしませんか。私だけかなぁ。
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当時仲間の死というのは日常茶飯事だったんでしょうが、もし知り合いが電気鉄線に飛び込んだ時、その死体を処理しながらなにを思ったのか、とか、もう想像もつかない。想像できないことは無理に自分なりの答えを出そうとしなくてもいいと思います。ただ考えてみるってことが、今の未熟な私には必要だと思いました。
すぐ答えを出そうとすることはときに間違いをうみますね。ほったらかしもダメだけど…。


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被害者の国籍ごとに説明ブースがおかれていたのですが、朝早かったのにもうお花が。
全くの過去の話じゃないんですね。当たり前か。
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学校から来ているらしき学生もたくさんいました。


もう想像を絶するよね。同じ人間がやってたんだよ。悪魔とかがやってたんじゃないの。ほんと、人間ってこんなこと出来るんだレベル。出来るんだなあ。きっとわたしも、生まれた環境がそうだったら、やれていたと思う。




まだわたしのつたないボキャブラリーじゃうまく伝えることができませんが、
日本人って、 ホロコースト問題客観的に見られると思う。キリスト教寄りでもユダヤ教寄りでもないところから見れるんだから。
違う角度から見れば、ホロコースト問題に首突っ込めば色んな考え方も吸収できるともおもう。


このブログは支離滅裂でたぶん書いた本人じゃないとワケワカランことになってますが、
ホロコーストと向き合うと、ユダヤ人差別問題だけじゃなくてほんとに色んな問題にぶちあたります。それを自分なりにあれはあれでこうだなあとか考えていくの、たとえそれが間違ってるとしても、若いうちにやっておくというのは大事だなぁと思いました。生意気ながら。
この旅行いって、私考え方変わったもの。(笑)



ダッハウ強制収容所編、おしまい。
ダッハウから出た直後の二人は、ものすごく落ち込んでた(笑)
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バス停。本当綺麗に整備されてるし、ビジターセンターもきらっきらでした。アウシュビッツよりも行きやすいので手始めにお勧め(?)です。
はたしてお勧めとか言っていいのか…
まあいいや、ひとりでも多くの人にここに行ってああでもないこうでもないって考えてほしいな。それであれやこれやと朝まで生テレビ(ホロコースト版)したいです。